なぜ「偏差値50未満」でも一流の外科医になれるのか

■「心臓外科医になって父を助けたい」

受験シーズン真っ只中、結果に一喜一憂している親子もいるのではないでしょうか。私が日本大学医学部に入学するまでに3浪したのをご存知の方は多いかもしれません。最近は浪人する人自体も減っていますが、私自身は、3浪しなかったら今の自分はなかったと考えています。高校2年生の時に父が心臓弁膜症と診断され、「心臓外科医になって父を助けたい」と思っていたので、医師にはなっていたかもしれませんが、天皇陛下の執刀医を任されるような心臓外科医にはなっていなかったと思うのです。

3浪したために「ノンエリート」と書かれることもあるのですが、実は、高校1年生までの私はエリート街道まっしぐらでした。小学校の頃から「神童」と呼ばれることもあるくらい成績が良かった私は、埼玉大学教育学部付属中学校を経て、それほど難なく埼玉県立浦和高校に入学しました。浦和高校は、私が在学していたに頃は毎年80人前後、昨年度も33人が東京大学に合格した全国でも有数の進学校です。医療界や財界、官僚には同窓生が大勢います。

高校に入学して最初の試験では、私の成績は410人中60番台でした。そこまでは良かったのですが、「勉強なんてやらなくてもできる」と高をくくり、麻雀、パチンコ、スキーに熱中してしまった私は、将来のことを考えて勉強第一で頑張っている同級生にどんどん抜かされ、あっという間に300番台に落ちて行ったのです。それでも、「本気を出せば挽回できる」「努力しないから点数が取れないだけ」と楽観し、授業をさぼって賭け麻雀に没頭する日々。試験直前に勉強しても、好きだった数学、物理以外は点数が取れなくなっていたのですが、それでもあまり深刻にはとらえず、夜は、土居まさるの「セイ! ヤング」、「オールナイトニッポン」などラジオの深夜放送に熱中し、学校では授業中に寝ていました。

大学の入学試験が近づいてもなかなかエンジンはかからず、麻雀、そしてパチンコをしていました。自慢できることではないかもしれませんが、浪人2年目となった頃には、パチンコでは“プロ級”の腕前になっていました。高校時代は手でレバーを引くタイプのパチンコ台で、手先の器用さというかコツが必要でした。結果として今振り返ると、その腕前は手術の技術にも生かされていると実感しています。

■「ネジを巻く」のに必要だった高校・浪人時代

受験勉強の方は一向に振るわず、数学、化学、物理といった理系科目は比較的良かったものの、英語、国語といった文系科目は苦手で、3浪目になって予備校に通っていた時にも、総合では偏差値が50に達していませんでした。それでも、「医学部に入れない」と不安になったことは一度もなく、「絶対にツモれる」と信じていました。“ツモる”とは麻雀用語で、牌の中から上がりの牌を持ってくることです。3浪となった頃には、父の体調が悪化したこともあり、やっとエンジンがかかって日本大学医学部に合格できました。医学部だからこそだとは思いますが、当時は2浪、3浪は珍しくなく、入学してみると5浪以上の人もいました。

そうはいっても、我が家は両親が医者でもなく、それほど裕福な家庭ではありませんでした。3浪した上に国公立大学よりもはるかに学費が高い私大の医学部に入って、親にかなりの負担をかけたのは申し訳なく思います。でも、だからこそ、早く手術の腕を磨いて一人前になるにはどうしたらいいのか医学生の頃から考えていましたし、高校・浪人時代は、「ネジを巻く」のに必要な時間だったのではないかと感じています。私の場合、あのままストレートで国公立大の医学部に入学していたら、全く挫折を知らず、人の痛みの分からない医師になっていたかもしれません。

私の息子や娘を含めて、今の若者たちは「ネジを巻く」時間がなく、いつも忙しくしているように見えます。親や学校の先生は、現役で大学へ行かせたいし子供に苦労させたくない、できるだけ近道をさせたいと考えがちですが、社会人になって挫折やトラブルを経験した時、勉強ばかりしてネジを巻く時間がなかった人は立ち直れないことがあります。ビジネスの世界も同じかもしれませんが、医療界では受験勉強が得意で論文がうまく書ける人が患者さんの治療面で医師として結果を出せるとは限らないのです。

特に、私のような外科医には、知識だけではなく手先の器用さも必要です。子供の頃、プラモデル作りに熱中したことも手術の技術に役立っています。プラモデル作りでは、部品をカッターやニッパーで一つ一つ丁寧にはがさないと上手く仕上がりません。それが子供にはなかなか難しいのですが、私は、小さい頃から部品を一つ一つ切り取るところから集中してプラモデル作りに取り組んでいました。患者さんとの会話もギャンブル、スキー、人より長い受験勉強で社会性を身に着けてきたことが役立っていると感じています。学生時代もそうでしたが、今でも、医学書に限らず多様なジャンルの本を読むようにしています。医学部の入試では、私大を中心にコミュニケーション力が問われるようになってきているものの、医師の中には、世間話もできない人がいるのは偏差値偏重教育の弊害ではないでしょうか。

■才能を活かす場を用意することが教育

受験勉強だけが才能を伸ばしたり開花させたりするわけではありません。医学部教育に限らずどの分野でも、多様な才能の受け皿を作らなければいけないですし、さまざまな才能を生かす場を用意することが本来の「教育」であるはずです。今の子供たちが大好きなコンピュータゲームも、親たちが思うほど無駄ではないかもしれません。

外科医の世界では、最新のコンピュータや画像技術を駆使した手術支援ロボット「ダヴィンチ」が前立腺がんの手術を中心に、患者さんの治療に活用されています。コンピュータゲームが上手な人は、恐らく、ダヴィンチの技術の習得も早いと思います。浪人の回り道も、私にとっては必要な時間でした。1年早く医師になることと、1年でも長く成熟した医師として患者さんに尽くすことのどちらを選択するかということにつながるかもしれません。短期的に無駄だと考えられていることも、無駄ではなくなる時が来るのです。

誤解のないように書いておきますが、医学部へ入学してからの私は、一生懸命勉強に打ち込みました。医師国家試験の勉強は、医師になってからの臨床の場でも役立ちます。医学部に入って浮かれて遊んでしまっては、いい医師にはなれません。医師として将来必要な分野の勉強に打ち込んだ結果、大学での成績は上位でしたし、医師国家試験の成績も高得点でした。

また、外科医を目指していたので、体力とチーム力をつけるために部活にも入りました。最初に入ったのはスキー部ですが、上下関係が厳しく、技術力に関係なく上級生しか試合に出られないので1年で辞めました。その後入ったテニス部は、そういった理不尽なことはなく、実力さえあれば下級生でも試合に出られるクラブでした。手術に必要な集中力、体力、チーム力の基礎は、大学時代のテニス部で培われました。

私は、人工心肺装置を使わずに心臓を動かしたままでバイパス手術を行うオフポンプ手術を得意としていますが、拍動している心臓の血管にバイパスとなる細い血管を縫い付ける時には、非常に高い集中力が必要になります。気が付くと、手術中に集中力が高まった時には、テニスのサーブを受ける時と同じようにつま先立ちになっていることがあります。最近は「チーム医療」という言葉をよく聞くと思いますが、手術は外科医一人ではできませんしチームワークが不可欠です。テニスでは団体戦もありますし、チームを下支えする仕事も多い部活動は、心臓外科医としてのチーム力を高める土台を築いてくれたと考えています。

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天野 篤(あまの・あつし)
順天堂大学医学部心臓血管外科教授
1955年埼玉県生まれ。83年日本大学医学部卒業。新東京病院心臓血管外科部長、昭和大学横浜市北部病院循環器センター長・教授などを経て、2002年より現職。冠動脈オフポンプ・バイパス手術の第一人者であり、12年2月、天皇陛下の心臓手術を執刀。著書に『最新よくわかる心臓病』(誠文堂新光社)、『一途一心、命をつなぐ』(飛鳥新社)、『熱く生きる 赤本 覚悟を持て編』『熱く生きる 青本 道を究めろ編』(セブン&アイ出版)など。